こんにちは、イザワです。
今日は「」というタイトルで記事を書きます。
なんでこれを書こうと思ったのか。
それは3日前に遡ります。
お正月で暇だったため、近くの映画館に行こうと思って「何を見ようかな」と考えてました。
予告ですごく面白そうだった「新解釈・三國志」を見に行こうと思ったんです。
ただ、映画を観る直前にレビューを見てみるとそこまで評価が高くなかったので辞めました。
そこでなんの映画が良いかなー、と探していた時に「えんとつ町のプペル」という映画を友達からおすすめされていた&みんな良いと言っていたのでみる事にしました。
レイトショーでプペルを観た
隣のホストみたいな兄ちゃん2人組が号泣してた2017年の1000人くらいしかいなかったサロン時代から西野さんの挑戦を見てたので、キャラクターのセリフが西野さんの心の叫びと重なった。
長期的に鬼滅の刃の動員数を抜くことを確信した。
全ての挑戦者に見てほしい。
— なかやまたくみ (@takupon_2020) December 25, 2020
映画を見た感想
結局「えんとつ町のプペル」をみる事になってその映画を見ました。
見終わった感想としては、、、、
めちゃ良かった。です。
映画を見ている途中、号泣とまではいきませんが、感動して泣きました。
感想を伝えようと思ってパートナーに報告すると、
と、聞かれました。
その時は家族の愛が良かった〜とかを答えていたと思うんですけど、自分で説明していてそんなにしっくりきていません。
だから、なんでそんなに感動したのか考えてみました。
そもそも、人はなぜアニメや映画に感動するのか?
そもそも、なんで人は感動するのか(泣くのか)を考えた時に思いついたのが、「感情移入」するからです。
物語を見ただけで感情移入する映画もありますが、プラスで、自分と主人公の境遇を照らし合わせて、それが重なった時に感動(泣く)人もいるな。と思いました。
つまり映画のストーリーが抜群に良くて、それがうまく人間の涙腺を刺激する or 物語の主人公に共感できる部分があり、それを見た時に涙腺が刺激される
という2つです。
そして、今回の映画でいうと後者の要素が大きかったように思います。
✂︎✂︎✂︎ 余談 ✂︎✂︎✂︎
なんで人は泣くのか?という問いが気になって調べてみると、
ここで改めて、泣くということを、現代の進化論的及び神経生理学的成果からみると、それは、ダーウィンの指摘のとおり、第1に、何らかの自分の欲求や欲望の非言語的な自己表現である。第2に、泣くことで、物質的な「フェロモン」、「共感」、「同情心」を通じて、他者に影響を与えようとする社会的コミュニケーション手段である。引用:世代論からみた日本人の涙―泣かなくなった日本人
という文章がありました。
「物語の主人公に共感できる部分があり、それを見た時に涙腺が刺激される」
というのは、日頃感じているけどうまく言語化できていないストレス、発散されていないストレスが映画の主人公が感じているものと似通っていて、
自分の中で明確にわかっていないストレスを映画を通じて見えてしまう事で、自分と重ね合わせた結果「感動する(泣く)」という変化があるのではないかと思いました。
これを書いている僕がすごい挑戦をしているわけでは全くありませんが、挑戦をしたくてもできない or 挑戦していて苦しい思いをしている方には響ものがあるはず。
✂︎✂︎✂︎ 余談おわり ✂︎✂︎✂︎
そもそも「えんとつ町のプペル」がどういうメッセージ性があったのかというと、いくつかあるうちの1つに「挑戦してみなよ。頑張って」というものがありました。
象徴されているなーと思ったセリフに、主人公の小さい男の子がビクビクしながら脚立を登ろうとしている時「下を見るから足が震えるんだ。上を見ろ」
みたいなメッセージが、少なくとも3回以上は出てきました。
これは多分、今回の映画の原作者でもあるキンコンの西野さん自身の原体験から、映画を見た人に伝えたいメッセージでもあると感じました。
例えば「挑戦することは確かに怖い。でも上を見続けると、実はそこまで怖くはない。途中で立ち止まったり振り返ると怖くなってしまう、だから上を見続けよう。」
みたいな。
実際、この映画の主題歌にもそのような詩があります。
夢を持てば笑われて
声を上げれば叩かれる
見上げることができない町で
僕はどうだ?
ここで描きたかったことを整理すると、
- 人がアニメや映画を見て感動する(泣く)のは、、、
- 自分が日頃から感じていたけど目には見えないストレスやプレッシャーを、映画を通じて見ることで、主人公と自分が重なり、
- その結果、言いようのない辛さとかストレスが涙となって出てくる。と思う。
ということです。
なぜ、アニメや映画は心の拠り所になると思ったのか
結論、アニメや映画の中のキャラクターは「理想のまま」だからです。
例えばですけど、今の世の中で「本当に頼れる人」っていないよな。と思いました。
いたとしてもそれは極少数だし、それは永遠にも続かないなぁと思いました。
例えば、ずっと付き合っているパートナーがいたとして、お互いがどんなにわかり合おうとしても「絶対に分かり合えない部分」はありますよね。
さらに、お互い寿命があるのでそれは永遠のものではありません。
だから自分の理想100%、ドンピシャな人に出会える確率はほぼ限りなく0に近いと思うんです。(わかり合おうとすることは大切)
でも、アニメや映画のキャラクターは違います。
彼らは現実の世界にいないから、自分の中で彼らのパーソナリティを考える余地があるんです。
例えば、有名なバスケットボールの漫画で「スラムダンク」がありますが、その主人公は桜木花道と言われる男気のある赤髪の高校生男子。
無邪気で自由奔放だけど、仲間思いで「海賊王になる」という大きな夢のあるONE PIECEだったらモンキー・D・ルフィ。
漫画の中でだいたいどんなキャラクターなのかはわかりますが、その人は漫画の世界で書かれているだけなので、相手の全てを知ることもできません。
ただ、相手の全てを知ることもできないけど、相手を自分の理想100%にしておくこともできるんです。
「二次元彼女」という言葉が流行ったような気がしますが、それも「二次元の彼女だから自分の理想100%叶えられる」からだと思うんです。
過去の偉人も同じで、死んだ人ってなぜが美化されますよね。
悪いことをしていても、それを上回る美談があればOKみたいな。
例えば「尊敬できる人は誰ですか」という質問で、坂本龍馬とか織田信長とか回答する人がいらっしゃると思いますが、
それも、彼らのような歴史上の偉人を「自分の理想のまま」にしておけるんです。
相手の嫌なところを見る必要がなく、相手の良い面だけを見ていれば成立します。
良い映画、アニメで登場する人たちが心の拠り所になるのは「自分の理想のまま」にしておけるからだと思いました。
素敵な映画、アニメにたくさん出会いたいと思った今日です。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
またね。
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