コミュニティに属すという安心感だけ味わっていても意味がない

大手企業で働いている。

学生団体に属している。

偏差値の高い大学。

意識高い系の団体に入っている。

心の中ににある『安心感』

・謎の安心感

人数が多いからとか、名前がある程度知られているという理由で『謎の安心感』を得ている人はいませんか?

そういう人は正直、いてもいなくてもどちらでも良い存在。

パズルの1ピースになれている訳でもなく、なんの役にも立っていない。

そんな過去の自分を振り返りながら書いていこうと思います。

こんにちは、イザワです。(@130Ht

・ブランド力

僕は早稲田大学に通っています。

早稲田は私立大学の中でもトップクラスで合格した時はめっちゃくちゃ嬉しかった。

なんたって有名だから。

大学に入ってからは、ヒッチハイクや国際交流系のイベント、旅など色々なことに首を突っ込んできました。

そしてそこで何度も自己紹介をしました。

「こんにちは!早稲田大学の伊澤です。」

自分の自己紹介の後に帰ってくる相手の返事には決まり文句のように

「え?早稲田なの?すごいね!」

ヒッチハイクでは毎回決まりきったように「すごい!」「頭良いんだね!」という言葉をかけられます。

最初は嬉しかったです。笑

ニヤけるくらい照れたし、優越感を味合うことだってできた。

でも「すごい!」「頭良い」と言われることに関して僕は違和感を感じるようになりました。

それは「早稲田大学」というブランドが有名なだけであって「いざわまさき」という人間は誰も知らないただの人間なんだよなー、と思うようになりました。

きっかけ

「自分はすごくない」こう感じるようになったのは大学1年次の予備校でアルバイトをしていた時。

アルバイト時に感じた自分の価値の無さ

僕は大学1年の時に大手予備校でアルバイトをしていた。

社員が1人だったので働いている大学生が中心に校舎運営をする。

同じだ大学生が中心で運営しているとなぜか仕事できる人とできない人がよくわかる。

同じ目線で同じ立場に立っているかもしれない。

そこで感じたのが大学の名前が関係ない「できる人」「できない人」との違い。

自分のブランドがないと存在している意味がない

早稲田という名前に依存していては就職に少しだけ有利になるかもしれないけれど、実際に社会に出れば何もないただの新卒サラリーマンになってしまう。

自分自身で何かを成し遂げたりスキルを持っていないと戦力にはなれない。

いてもいなくても良い存在になると思いました。

怖かった。

大学の名前なんて意味がない。

結局、仕事の時には学歴なんてどうでも良い。

自分の武器があるのかということ。

大学生活で学生団体に所属しているだけだったり、大学のブランド名に依存しているだけでは意味がないと思う。

だからなにかしらの心地よいとコミュニティに属している状態から一歩踏み出さないと、自分自身は成長しないのかなと思う。

ps,自分へ言い聞かせてます。

コメント

Copied title and URL