戦争の「体験談」を伝えるのは良いけど、それだけではダメな気がした。

沖縄滞在記

簡単に戦績ツアーをしてきた感想をまとめておきます。

ひめゆりの塔や糸数アブチラガマ、平和祈念公園に行って、戦争を体験した方のお話を聞くことはできませんでしたがいろいろ見てきました。

アブチラガマでは、ツアーさんに解説してもらいながら回ったのですが、その方は60代近くだったので、実際に戦争を体験している訳ではありません。

実際に戦争を体験した上の世代からのお話を、僕たちに伝えてくれました。

ここからが、今日の感想です。

「体験談」だけでは足りない気がした

当時の戦争を振り返って、「本当に辛かった」「大変だった」「悲惨だった」という体験をもとに感想を伝えるだけでは、伝えたいメッセージが伝わらないと思いました。

どういうことか。

戦争を経験した方達は、戦争の恐ろしさを知っているので、二度とあのようなことをしてはならないと口を揃えて言います。

ただ、その理由が先ほど挙げたような「本当に辛かった」「大変だった」「悲惨だった」のような感想では、きっと伝わらないと思いました。

確かに、当時は本当に大変な思いをして生き延びた、戦い抜いたということは伝わってきますが、なかなか自分ごととして捉えられないというのが本音です。

戦争を体験した方がいなくなる

今日、僕たちが体験したツアーも、当時の戦争を体験した方はいませんでした。

例えばガマや遺跡を巡るものは、足場が不安定なので90才以上の方がそこを歩くのは少し厳しいため、必然的若い方の仕事になります。

さらに寿命もあるので、終戦から75年ほどたった現在だと、あと30年もすれば当時戦争を体験された方はお亡くなりになるはず。(不謹慎かもしれませんが、事実です)

戦争を実際に体験した人ではなく、「戦争を実際に体験したことのある方から伝えられた話」って、説得力が薄まってしまうというか、なかなか伝えたいことが伝わらないと思いました。

なぜなら、実際に戦争を体験していないのに「本当に辛かった」「大変だった」「悲惨だった」という感情を伝えるのは、本人が体験していないので伝えられない&聞く人にも伝わらないからです。

だから、「感想」ではなく「教訓」を

戦争を体験した方がいなくなるからこそ、当時の感想、体験談を伝えるだけではダメだと思いました。

では、過去の戦争を若い人たちに伝える必要がないかというと、そういう訳ではありません。

日本の歴史として、二度と起こってはいけないし起こしてはいけない出来事として、知っておく価値があるからです。

とはいえ、僕は今日の戦績ツアーを通じて、確かに悲惨だったことはわかるけど、どうしてもなかなか自分ごととして捉えられませんでした。

だからこそ、

  • 戦争から、当時の方達は何を学んだのか
  • これからを生きる若い方達に何を伝えたいのか

これらを考える必要があると思いました。

つまり、戦争から学んだ教訓です。

当時の沖縄戦は「負けるとわかっていて、東京を守るための捨て駒、時間稼ぎ」として行われました。

沖縄にいた中将は、この戦争は負け戦だから戦わない方が良いと言っていたにも関わらず、もっと上(大将など)の命令によって、従わなければならなかったと言われています。

では、その戦争に反対した中将のもっと上には誰がいたのか。

戦後、A級戦犯で捕まった人たちです。

A級戦犯では、1945年9月11日に逮捕命令(計14名)が出され、逮捕されたのは主に東條内閣閣僚でした。

つまり、今でいうと私たちが選挙で選んだ人たちが、超えてはいけない一線を超えて、戦争を起こして悲惨な事態を引き起こしたと言えると思います。

戦争の教訓として、もし自分たちに不利な法律や条例が出ても、それを選んだ人たちは選挙を通じて投票した私たち自身だから、このような悲劇が起こったのは私たちの責任でもある。だから、日頃から少しでも政治に興味を持ちましょう。

という教訓になるかもしれません。

改めて、再結論になりますが、これからは戦争の「体験談」ではなくて、戦争から何を学んだのか、何を若い人たちに伝えたいのか「現代にも使える教訓」をハッキリさせる必要があると思いました。

駆け足になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

またね。

 

 

コメント

Copied title and URL